[PR]

日別キーワード

第16位  壱岐 - 2019年02月10日


関連するイメージは見つかりませんでした



壱岐
壱岐島(いきのしま)は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。『古事記』によれば、別名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。 周囲には23の属島(有人島4・無人島19)が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。ただし、俗にこの属島をも含めて壱岐島と呼び、壱岐島を壱岐本島と呼ぶこともある。官公庁の定義では「壱岐島」と呼ぶ場合、周囲の属島は含めない。 現在は長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局(旧・壱岐支庁、壱岐地方局)を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。 地理 佐賀県北端部の東松浦半島から北北西に約20kmの玄界灘上に位置しており、対馬海峡を隔てた北西海上に対馬がある。航路の距離は福岡市の博多港から島の南西部の郷ノ浦港までが約67km、東松浦半島の呼子港(唐津市)から島の南東部の印通寺(いんどうじ)港までが約26kmである。 属島は原島・長島・大島・若宮島の4つの有人島と、19の無人島がある。 集落の形成 島内は、農業集落と漁業集落に大きく分けられる。 (Wikipedia:壱岐)

壱岐市
壱岐市(いきし)は、長崎県の壱岐島を主な行政区域とする市である。壱岐振興局の所在地。 地理 福岡市から北西に約80km、佐賀県北端部の東松浦半島から北北西に約20kmの玄界灘上に位置する離島である。北西の海上に対馬が位置している。壱岐市域の大半を占める壱岐島は面積133.82km²、南北17km、東西15km。有人島としては壱岐島の南西部の沖合いに原島・長島・大島が、北側の沖合いに若宮島がある。また島周辺には19ヶ所の無人島がある。これらをまとめて壱岐と呼ぶ。 市域全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。 有人島 : 壱岐島、原島、長島、大島、若宮島 無人島 : 火島、阿瀬ノ島、机島、平島、児島、蛇島、牛島、アカガ島、名烏島、辰ノ島、手長島、黒ヶ島、青嶋、赤嶋、名嶋、小島、金城瀬、妻ヶ島、小島 山 : 岳の辻(たけのつじ、標高212.8m、郷ノ浦町)、久美ノ尾(ぐみのお、標高175m、郷ノ浦町)、男岳(おんだけ、標高168m、芦辺町)、女岳(めんだけ、標高149m、芦辺町) 河川 : 谷江川、幡鉾川、刈田院(かりたいん)川 池 : 大清水池(勝本町布気触) 気候 対馬と同様、暖流である対馬海流の影響を受けており比較的温暖な気候で、季節を問わず比較的湿度が高い。 (Wikipedia:壱岐市)

壱岐島
壱岐島(いきのしま)は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。『古事記』によれば、別名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。 周囲には23の属島(有人島4・無人島19)が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。ただし、俗にこの属島をも含めて壱岐島と呼び、壱岐島を壱岐本島と呼ぶこともある。官公庁の定義では「壱岐島」と呼ぶ場合、周囲の属島は含めない。 現在は長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局(旧・壱岐支庁、壱岐地方局)を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。 地理 佐賀県北端部の東松浦半島から北北西に約20kmの玄界灘上に位置しており、対馬海峡を隔てた北西海上に対馬がある。航路の距離は福岡市の博多港から島の南西部の郷ノ浦港までが約67km、東松浦半島の呼子港(唐津市)から島の南東部の印通寺(いんどうじ)港までが約26kmである。 属島は原島・長島・大島・若宮島の4つの有人島と、19の無人島がある。 集落の形成 島内は、農業集落と漁業集落に大きく分けられる。 (Wikipedia:壱岐島)

壱岐空港
壱岐空港(いきくうこう Iki Airport)は、長崎県壱岐市にある地方管理空港である。 壱岐島南東部の海岸、筒城浜(つつきはま)のそばに1966年開港。 一時期、ジェット機が離着陸できるように滑走路を伸ばす計画もあったが、機体の小型化や福岡便の廃止などにより、実現にはいたっていない。 2006年4月1日、国土交通省大阪航空局および気象庁福岡航空測候所の壱岐空港出張所が閉鎖となり、現在航空管制業務は福岡空港事務所が遠隔通信で、航空気象委託観測業務は長崎県壱岐空港管理事務所(壱岐振興局)が移転の上、担当している。 年間利用客数は、国内31,767人(2012年度)。 1965年2月27日 - 日航機墜落事故が発生。 1966年7月10日 - 供用開始。 2011年5月28日 - オリエンタルエアブリッジが東京の旅行会社クラブツーリズムと連携し、五島市福江空港と壱岐空港間にチャーター便の運航(月3,4回)を開始。 (Wikipedia:壱岐空港)

壱岐郡
壱岐郡(いきぐん)は、長崎県(壱岐国)にあった郡。 郡域 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、壱岐市の一部(勝本町各町・芦辺町各町・石田町湯岳射手吉触・石田町湯岳興触)にあたる。 古代 = 式内社 = 『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。 近世以降の沿革 明治初年時点では全域が肥前平戸藩領であった。「旧高旧領取調帳」の記載によると11村が存在。 明治4年 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により平戸県の管轄となる。 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により長崎県の管轄となる。 明治11年(1878年)10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、行政区画としての壱岐郡が発足。「壱岐石田郡役所」が石田郡武生水村に設置され、同郡とともに管轄。 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。[ ]は合併した村。全域が現・壱岐市。(5村) 鯨伏村[立石村・本宮村]、香椎村[可須村・新城村]、箱崎村、那賀村[中野郷村・国分村・住吉村・湯岳村]、田河村[諸吉村・深江村] 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「壱岐石田郡役所」の管轄区域をもって、改めて壱岐郡が発足。 (Wikipedia:壱岐郡)

壱岐国
壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。 沿革 史料上の初見は、中国の史書である三国志 (歴史書)のいわゆる魏志倭人伝に「一大國」としてある。『魏略』の逸文、『梁書』、『隋書』では一支國と記述される。 古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、「いき」または「ゆき」と読んだ。令制国しての壱岐国が7世紀に設けられると、しだいに壱岐と書いて「いき」と読むことが定着した。壱岐国は、「島」という行政単位として壱岐島とも呼ばれ、その国司は島司とも呼ばれた。 近世以降の沿革 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が肥前平戸藩領であった。 明治4年 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により平戸県の管轄となる。 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により長崎県の管轄となる。 国内の施設 国府 国府は石田郡にあった。壱岐市芦辺町湯岳興触の興神社付近ではないかと推測されるが、他にも場所は諸説あり遺跡もまだ見つかっていない。 (Wikipedia:壱岐国)

壱岐交通
壱岐交通株式会社(いきこうつう)は、長崎県の壱岐島島内で乗合バス事業および貸切バス事業を行うバス事業者。 会社設立は1919年(大正8年)12月27日。本社所在地は壱岐市郷ノ浦町東触575番地2。 沿革 1917年(大正6年)10月 - 石田村山崎出身の青年、赤木要次郎がフォード6人乗りの自動車を初めて壱岐に乗り入れる(郷ノ浦港から陸揚げ)。 1918年(大正7年)12月 - 赤木要次郎が自動車会社設立を出願し認可される。定期乗客輸送営業を開始。 1919年(大正8年) 8月 - 赤木要次郎、組織を変更し「赤山合名会社」に改称。本社を壱岐郡立病院下(現:新道バスターミナル)に設置。 12月27日 - 島内有志(代表:立石重人 等)によって「壱岐交運株式会社」が設立される。赤山合名会社の事業を継承。資本金30,500円。 1921年(大正10年)1月 - 乗合自動車による輸送事業経営を開始。 当初の免許路線は郷ノ浦の郡立病院下の新道を起点として勝本方面・芦辺方面・印通寺方面に各3往復であった。 (Wikipedia:壱岐交通)

壱岐対馬国定公園
壱岐対馬国定公園(いきつしまこくていこうえん)は、長崎県北西部に位置する壱岐及び対馬の海岸部を中心とした国定公園。総面積126.3平方km。1968年(昭和43年)7月22日指定。海中公園も多く分布する。大陸性の固有種が多く棲息することでも知られ、ツシマテン、ツシマヤマネコなどは天然記念物にも指定されている。
また、両島ともに古くから大陸による干渉が多かった地でもあり、元寇の防塁跡や原の辻遺跡(特別史跡)、金田城跡(特別史跡)など歴史的な遺産が多く、文化的景観保護の側面も持つ。
壱岐と対馬で対称的な海岸風景を見せる。
岳ノ辻を主峰とする火山島。島の多くが玄武岩による台地であり、険しい海蝕による断崖が特徴的である。周辺には海中公園が多い。
(Wikipedia:壱岐対馬国定公園)

壱岐湯ノ本温泉
壱岐湯ノ本温泉(いきゆのもとおんせん)は、長崎県壱岐市(旧国壱岐国)湯本浦、立石西触、本宮南触に跨る温泉。単に湯ノ本温泉ともいう。壱岐随一のいで湯として昔から知られていた。 アクセス フェリーで郷ノ浦港着、港から県道郷ノ浦港線、国道382号線、県道郷ノ浦沼津勝本線を経て到着。 公共交通機関は壱岐交通郷ノ浦行き本町バス停下車湯ノ本経由勝本行き乗換、湯ノ本バス停下車。 泉質 塩化土類塩泉 温泉街 島西部の海岸段丘に観光ホテルや旅館など6軒の宿泊施設や数件の立ち寄り湯がある。古くから湯治場として知られ、落ち着いた雰囲気。 歴史は非常に古く、約1700年前から湧出していたと伝えられており、神功皇后が応神天皇の産湯をつかわせたなどの伝承が残る。近年のボーリング開鑿による温泉発見までは壱岐唯一のいで湯としても知られていた。子宝の湯、または外傷に効能があるといわれる。 昭和46年3月23日 - 厚生省告示第55号により、国民保養温泉地に指定。 関連項目 平山旅館 外部リンク 壱岐市平山旅館。 (Wikipedia:壱岐湯ノ本温泉)

壱岐 (戦艦)
壱岐(いき)は、日本海軍の戦艦である。艦名は、旧国名「壱岐国」に因む。 「壱岐」は、元はロシア帝国の艦隊装甲艦インペラートル・ニコライ1世(ロシア語:Император Николай I)であった。ロシア帝国海軍時代には、一時はバルチック艦隊の最有力艦艇であり、旗艦を務めたこともあった。 これが、日露戦争中に日本に鹵獲され、戦艦(海防艦)「壱岐」となった。最終的には標的艦として撃沈され、解体された。 艦歴 1886年3月8日 サンクトペテルブルク、フランコ=ルースキイ工場で起工。艦種は戦艦ではなく艦隊装甲艦。艦級はインペラートル・アレクサンドル2世級。 1889年5月20日 進水。 1891年5月13日 竣工し、バルト艦隊に編入される。但し、実際に稼動体制に入ったのは1892年のこと。 1904年11月3日 ロシア第三太平洋艦隊(いわゆる「バルチック艦隊」)に編入され出航。 1905年5月14日 バルチック艦隊本隊に合流 5月27日 日本海海戦に参戦。 5月28日 竹島沖で日本艦隊に追い詰められ「撃沈されるよりは」と降伏捕獲される。 (Wikipedia:壱岐 (戦艦))

壱岐正
『不毛地帯』より : 『不毛地帯』(ふもうちたい)は、山崎豊子の小説。1973年から1978年まで『サンデー毎日』に連載された。連載中に、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件があり、偶然似た題材を扱った本作が話題になったが、実在するどの事件の概要とも異なるフィクション作品である。 単行本は新潮社から刊行されたが、1976年に前半(4分冊の場合は1 - 2巻、2分冊の場合は上巻にあたる部分)が、1978年には残りの後半部分合わせて全4巻で出版された。1983年11月から12月にかけて、同社から新潮文庫版が刊行された(のち、2009年3月には、5分冊に編成された)。『山崎豊子全集』(新潮社)では12〜15巻に収録している。 登場人物の設定に特定のモデルは存在せず、複数のモデルからの取材をもとにした作者の想像の産物である。当時の週刊誌や経済誌によって、主人公の壱岐正元帝国陸軍中佐は伊藤忠商事の元会長瀬島龍三がモデルと繰り返されたが、山崎は瀬島がモデルそのものではなく、複数人のイメージを重ね合わせたものと断っている。 (Wikipedia:壱岐正)

壱岐 (曖昧さ回避)
壱岐(いき)
長崎県北部の玄界灘上に位置する島。用法により、指し示す範囲が若干異なってくる。
壱岐で最も面積が広く、壱岐の大半の部分を占める壱岐島(壱岐本島とも言う)
壱岐島とその周囲にある属島をまとめた呼称。現在、全域が壱岐市。
律令制下において制定された壱岐国
「魏志倭人伝」に記されている一大国(一支国)
東京都文京区本郷 (文京区) 本郷の一地区
福岡市西区 (福岡市) 西区にあった地域名。もと福岡県早良郡壱岐村(1941年に福岡市へ編入)。地名としては残っていないが、「壱岐」の名を冠した団地・交番・郵便局・小中学校・バス営業所などが存在する(ただし「壱岐団地」は正式な町名である)。
大日本帝国海軍の戦艦「壱岐」については壱岐 (戦艦)を参照。
(Wikipedia:壱岐 (曖昧さ回避))

壱岐日報
壱岐日報(いきにっぽう)は、長崎県壱岐市で、壱岐日報社が発行する地方新聞。題字の字体は「壹岐日報」。1913年、前身となる「壱岐集報」が創刊され、1923年には現在の名前に改めた。戦争の影響で、昭和20年には一時休刊したが、翌21年1月には復刊した。
現在、発行は月6号。購読料は月900円。
なお、壱岐日報社は、長崎県壱岐市郷ノ浦町にある。
壱岐日日新聞
新聞一覧
日本の新聞
長崎県のマスメディア
壱岐市
(Wikipedia:壱岐日報)

壱岐坐辺天伊夜神社
『』より : 壱岐坐辺天伊夜神社(いきにますへていやじんじゃ)は、長崎県壱岐市にある神社である。旧社格は郷社。 祭神 辺天伊夜大神(へていやのおおかみ)を主祭神とし、級長戸辺神(しなとべのかみ)を相殿に祀る。 辺天伊夜神については、『壱岐国風土記』逸文で、小舟に乗って小さな神が壱岐島に着いたが、その神の名を知る神は誰もおらず、ただ辺天伊夜神だけが「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と名を明かしたというくだりがある。類似の説話が日本神話の中にもあり(大国主の国づくり)、辺天伊夜神は天下のことは何でも知っているという久延毘古神と同一視され、知識・知恵・学問の神として、また久延毘古がかかしであることから農耕の神として信仰されている。 相殿の級長戸辺神は風神であり、この神社では嵐を鎮める神として祀られている。 創建の年代は不明である。鎌倉時代、元寇により壱岐島が元軍に占領されたとき、社殿ほか全て破壊された。江戸時代、平戸藩を治める平戸松浦氏によって再興され、近隣の住民の信仰の中心となった。 (Wikipedia:壱岐坐辺天伊夜神社)


壱岐 - 関連ブログ

データが取得できませんでした

壱岐 - アマゾン検索


「壱岐」に関連する商品は見つかりませんでした

アマゾンから探す