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第15位  肥前 - 2019年02月11日


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肥前
『肥前国』より : 肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。 沿革 火国(ひのくに)、後の肥国(ひのくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。 『肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。 室町時代末期にポルトガル、スペインの宣教師が相次いで来訪してからは西洋の窓口の一つとなり、天正少年使節団を出すなどした。 近世以降の沿革 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り。幕府領は長崎奉行が管轄。太字は郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。 基肄郡 - 対馬府中藩 養父郡 - 佐賀藩、対馬府中藩 三根郡 - 佐賀藩 神埼郡 - 佐賀藩、蓮池藩 佐賀郡 - 佐賀藩、蓮池藩、小城藩 小城郡 - 佐賀藩、小城藩 松浦郡 - 幕府領、旗本領、唐津藩、佐賀藩、蓮池藩、小城藩、平戸藩、福江藩、対馬府中藩 杵島郡 - 佐賀藩、蓮池藩 藤津郡 - 佐賀藩、蓮池藩、鹿島藩 彼杵郡 - 幕府領、佐賀藩、大村藩、平戸藩 高来郡 - 幕府領、佐賀藩、大村藩、島原藩 慶応4年 2月2日(1868年2月24日) - 幕府領が長崎裁判所の管轄となる。 (Wikipedia:肥前)

肥前石井氏
家名=(肥前/佐賀)石井氏
家紋=Mitsuyamagata.gif
家紋名称=丸に三つ鱗(三山形)
本姓=藤原北家藤原兼通 兼道流
家祖=石井忠光
種別=武家士族
出身地=下総国
根拠地=肥前国
人物=陽泰院鍋島茂里石井生札鍋島茂賢石井忠亮石井富之助石井亮一
支流・分家=鍋島主水家(武家)深堀鍋島家(武家)
(肥前/佐賀)石井氏(いしいし)は、戦国時代 (日本) 戦国時代・安土桃山時代の肥前国の武士で龍造寺氏の重臣。江戸時代 江戸期の佐賀藩主鍋島氏の外戚・重臣。俗に佐賀石井家と称される。また大族であったため、「石井一門」・「石井党」・「石井一党」・「石井寄合衆」などとも称されていた。藩政時代に鍋島氏の血縁として殊遇を受け、藩政を支えた一族であり、近世以降も、日本の電話の創始者石井忠亮、日本の知的障害者福祉の創始者石井亮一らを輩出し、姻戚には大隈重信、武富時敏、中牟田倉之助、久米邦武らがおり、佐賀県有数の名族として知られる。
(Wikipedia:肥前石井氏)

肥前藩
『佐賀藩』より : 佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)という俗称もある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。 藩史 鍋島氏は龍造寺氏の家臣であったが、龍造寺隆信の戦死後、鍋島直茂が領地を継承して成立。藩の成立後もしばしば残存する龍造寺分家との対立がおきた(鍋島騒動)。この対立の構図から生まれたのが「佐賀化け猫騒動」という話である。 佐賀藩成立 天正12年(1584年)、龍造寺隆信は島原半島に於いて島津氏・有馬氏の連合軍との戦いで敗死した。その遺児である政家の補佐役として実権を握ったのが、重臣の一人であった鍋島直茂である。天正18年(1590年)には政家を廃してその子の高房を擁立、直茂はその後見人として豊臣秀吉より認められた。 (Wikipedia:肥前藩)

肥前国
肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。 沿革 火国(ひのくに)、後の肥国(ひのくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。 『肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。 室町時代末期にポルトガル、スペインの宣教師が相次いで来訪してからは西洋の窓口の一つとなり、天正少年使節団を出すなどした。 近世以降の沿革 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り。幕府領は長崎奉行が管轄。太字は郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。 基肄郡 - 対馬府中藩 養父郡 - 佐賀藩、対馬府中藩 三根郡 - 佐賀藩 神埼郡 - 佐賀藩、蓮池藩 佐賀郡 - 佐賀藩、蓮池藩、小城藩 小城郡 - 佐賀藩、小城藩 松浦郡 - 幕府領、旗本領、唐津藩、佐賀藩、蓮池藩、小城藩、平戸藩、福江藩、対馬府中藩 杵島郡 - 佐賀藩、蓮池藩 藤津郡 - 佐賀藩、蓮池藩、鹿島藩 彼杵郡 - 幕府領、佐賀藩、大村藩、平戸藩 高来郡 - 幕府領、佐賀藩、大村藩、島原藩 慶応4年 2月2日(1868年2月24日) - 幕府領が長崎裁判所の管轄となる。 (Wikipedia:肥前国)

肥前山口駅
肥前山口駅(ひぜんやまぐちえき)は、佐賀県杵島郡江北町大字山口にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。 佐賀県中部地域の鉄道交通の要衝となる駅で特急「かもめ」の一部を除く全列車が停車する。当駅の所属線である長崎本線と、当駅を起点とする佐世保線の2路線が乗り入れている。佐世保線の列車は一部の普通列車を除いて長崎本線鳥栖駅方面に直通している。 国鉄時代から長崎駅・佐世保駅発着の優等列車が数多く当駅で分割・併合をしていたが、2011年3月12日のダイヤ改正により「かもめ」「みどり(・ハウステンボス)」の併結運転が終了し、当駅で分割・併合を行う優等列車はなくなった。現在は肥前大浦駅・早岐駅発着の普通列車1往復の分割・併合のみが行われている。2016年3月25日まではこれとは別に、「みどり」1往復が「ハウステンボス」編成の増解結を行っていたが、翌日のダイヤ改正で当駅での増解結がなくなり、当駅での優等列車の分割・併合シーンは完全に姿を消すことになった。 (Wikipedia:肥前山口駅)

肥前鳥島
『鳥島 (長崎県)』より : 鳥島(とりしま)または肥前鳥島(ひぜんとりしま)は、東シナ海北東部にある「北小島、中小島、南小島」3つの島から成る島嶼群である。福江島の南西約60km、男女群島から北西方向に35kmの海上に位置する長崎県最西端(沖縄県を除く九州最西端)の無人島である。 肥前鳥島は、北小島(面積19平方メートル、標高9メートル)、中小島(面積80平方メートル、標高13メートル)、南小島(面積88平方メートル、標高16メートル)の3つの島から成る、中小規模のビルディングに相当する大きさの島嶼群である。存在は古くから知られており、海図や歴史史料などにも明記されている。 2014年以降、国土地理院地図では「北小島、中小島、南小島」からなる肥前鳥島と表記している 。また環境省は当海域を「22101 肥前鳥島」として、生物多様性の観点から重要度の高い海域に指定している。 産業 この島の周辺海域はクロマグロの幼魚(ヨコワ)、ブリ、ヒラマサ、クエ(アラ)等の好漁場として知られ、地元の漁船により漁業の操業が行われているが、中国漁船による違法操業も行われている。 (Wikipedia:肥前鳥島)

肥前尾崎焼
肥前尾崎焼(ひぜんおざきやき)は佐賀県神埼市で焼かれている陶器である。 九州でも有数の古窯で、伝承によると弘安の役の際に捕虜とした渡来人に製陶の技法を学び、焼いたのが尾崎焼のルーツであると言われるが他にも諸説がある。安土桃山時代には長右衛門右京という陶工が作った茶器を豊臣秀吉に献上したところ、大変激賞し右京に御朱印を賜ったと伝えられる。江戸末期には生活雑器を焼いており、規模は小さいながらもそれなりに繁栄した。だがその頃の尾崎焼は非常に脆いものであったため、現存する物は極めて少ない。 昭和初期には火鉢や七輪、植木鉢、焙烙などを焼いていたが、その頃には既に5軒しか残っていなかった。戦後にはほとんどの火が絶え、平成17年現在では日の隈窯一軒のみが残っているが、当時の尾崎焼とは全く異なる焼き物である。現在の尾崎焼は地元産の土、釉薬、絵具を使い、白土を碾いて土に混ぜ、それに和紙染めという手法を用いて絵付けを行うものである。モチーフは近くの草花で、それを丁寧に写し取った物を意匠に凝らす。その作品は非常に温かみがあり、気品が漂う一品である。 尾崎人形 尾崎焼のもう一つの特徴として伝統的な土人形制作がある。 (Wikipedia:肥前尾崎焼)

肥前電気鉄道
肥前電気鉄道(ひぜんでんきてつどう)は、かつて佐賀県藤津郡塩田町および嬉野町(現在はいずれも嬉野市)内において運行されていた軌道 - 鉄道路線(路面電車)およびその運営事業者である。 九州鉄道(初代)が、現在の九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線・大村線・長崎本線にあたる山口駅(現・肥前山口駅) - 諫早駅間ルートを建設する際、温泉宿に泊まるものがいなくなって街が寂れることを懸念した嬉野町は、当初同町中心部に路線が通される予定であったものを一蹴してしまい、後になって鉄道の至便性を見て大きく悔いたといわれる。鉄道忌避伝説の一種である。 真偽はともかく嬉野では、高橋駅 - 武雄駅前駅 - 塩田駅 - 祐徳門前駅間の鉄道路線を開業させていた祐徳軌道(1904年(明治37年)開業、1931年(昭和6年)廃止)に接続させる形で、塩田 - 嬉野間に電気鉄道線を建設することにした。 (Wikipedia:肥前電気鉄道)

肥前電気軌道
『肥前電気鉄道』より : 肥前電気鉄道(ひぜんでんきてつどう)は、かつて佐賀県藤津郡塩田町および嬉野町(現在はいずれも嬉野市)内において運行されていた軌道 - 鉄道路線(路面電車)およびその運営事業者である。 九州鉄道(初代)が、現在の九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線・大村線・長崎本線にあたる山口駅(現・肥前山口駅) - 諫早駅間ルートを建設する際、温泉宿に泊まるものがいなくなって街が寂れることを懸念した嬉野町は、当初同町中心部に路線が通される予定であったものを一蹴してしまい、後になって鉄道の至便性を見て大きく悔いたといわれる。鉄道忌避伝説の一種である。 真偽はともかく嬉野では、高橋駅 - 武雄駅前駅 - 塩田駅 - 祐徳門前駅間の鉄道路線を開業させていた祐徳軌道(1904年(明治37年)開業、1931年(昭和6年)廃止)に接続させる形で、塩田 - 嬉野間に電気鉄道線を建設することにした。 (Wikipedia:肥前電気軌道)

肥前町
肥前町(ひぜんちょう)は、佐賀県の北西部にあった町。2005年1月1日に、唐津市、浜玉町、厳木町、相知町、北波多村、肥前町、鎮西町、呼子町の8市町村で合併し、唐津市となった。 現在は「唐津市肥前町」として地名が残っている。 地理 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により入野村(いりのむら)と切木村(きりごむら)が成立 1958年(昭和33年)11月1日 - 切木村が分割、それぞれ唐津市と入野村へ編入される。即日入野村が町制施行し、肥前町となる 2005年(平成17年)1月1日 - 唐津市と7町村が合併(新設合併)して唐津市となり、廃止 交通 道路 国道204号 関連項目 佐賀県の廃止市町村一覧 外部リンク 国土地理院 地図閲覧サービス ウオッちず 2万5千分1地形図名:高串[南東]。 (Wikipedia:肥前町)

肥前吉田焼
肥前吉田焼(ひぜんよしだやき)は佐賀県嬉野市にて焼かれる磁器である。歴史は非常に古く、天正5年頃に作られた陶磁器の破片が発掘されている。後に佐賀藩主、鍋島直茂が朝鮮陶工を吉田山に招き、磁器を焼かせたことから吉田焼が生まれた。享和年間から食器などの生活雑器を中心に焼き、繁栄した。だが天保年間に入り、生産過剰により単価が下落、窮地に立たされた。 明治に入り、磁器生産の「精成社」が吉田山に創業された。主に輸出用の食器を生産した。有田から学んだ技術の向上もあり中国・朝鮮などに市場を広げ、大正年間には朝鮮半島向けの市場を独占するほど好景気に沸いた。しかし後の朝鮮の情勢悪化や他生産地の台頭などもあり、次第に衰えていった。しかし、窯場を集めて共同出資した吉田製陶株式会社の設立などで合理化を図り、廃絶は免れ今日に至っている。現在は11軒の窯元があり、嬉野温泉の発展に伴い観光客向けの食器を多数焼いている。 肥前吉田焼は古くから生活向けの食器類を焼いてきており、確立されたスタイルは存在しない。 (Wikipedia:肥前吉田焼)

肥前旭駅
肥前旭駅(ひぜんあさひえき)は、佐賀県鳥栖市儀徳町にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。 1928年(昭和3年)12月23日 - 旭信号所として鉄道省が開設。 1934年(昭和9年)6月7日 - 駅に昇格し、肥前旭駅に改称。 1984年(昭和59年)2月1日 - 無人化(その後、駅員再配置)。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。 2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。 2015年(平成27年)3月14日 - 無人化。 駅名の由来 駅名の由来は、鳥栖市が発足する以前に当駅があった村の村名(佐賀県三養基郡旭村)である。 開業時、既に土讃線に旭駅が設けられていたことから「肥前旭駅」と命名された。なお、総武本線の旭駅は、当駅の開業当時は「旭町駅」で、旭駅に改称するのは1959年(昭和34年)である。 駅構造 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。下り方向に向かって右側に駅舎がある。 (Wikipedia:肥前旭駅)

肥前麓駅
肥前麓駅(ひぜんふもとえき)は、佐賀県鳥栖市平田町にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。 1942年(昭和17年)9月30日 - 肥前麓信号場として鉄道省が開設。 但し実際には帝国陸軍鳥栖弾薬庫引込線として1941年(昭和16年)に開設されたが当時は極秘扱とされた。 1947年(昭和22年)3月1日 - 肥前麓駅として旅客業務取扱開始。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。 2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。 2015年(平成27年)3月14日 - 無人化。 駅構造 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。ホームは817系電車に対応して2両分がかさ上げされており、段差なしで乗降できる。 利用状況 1日平均乗車人員は598人である。(2011年度) 駅周辺 住宅は駅北側を中心にやや多い。工場は駅南側に多い。 佐賀県立鳥栖商業高等学校 九州龍谷短期大学 佐賀競馬場 西鉄バス佐賀「JR麓駅」バス停(久留米・鳥栖方面) 鳥栖麓郵便局 陸上自衛隊鳥栖分屯地 佐賀県道31号佐賀川久保鳥栖線 隣の駅 九州旅客鉄道 長崎本線 新鳥栖駅 - 肥前麓駅 - 中原駅 脚注 関連項目 日本の鉄道駅一覧 外部リンク 肥前麓駅(駅情報) - 九州旅客鉄道。 (Wikipedia:肥前麓駅)

肥前古賀駅
肥前古賀駅(ひぜんこがえき)は、長崎県長崎市松原町にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。 1972年(昭和47年)10月2日 - 日本国有鉄道が開設。古賀駅と区別するため肥前古賀となった。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。 2012年(平成24年)12月1日 - 同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入。 2015年(平成27年)3月14日 - 無人化。 駅構造 単式ホーム1面1線を有する地上駅。長崎本線(旧線は除く)内で、唯一待避設備のない駅である。列車とホームとの間が広く空くため、転落検知マットが2両分設置されている。 ホームから階段を降りた所に小さな出改札小屋が置かれ、その脇には自動券売機が設置されている。 利用状況 2010年度の1日平均乗車人員は565人である。 駅周辺 国道34号の県営バス松原バス停へは、徒歩5分の距離である。 長崎市立古賀小学校 隣の駅 九州旅客鉄道 ■快速「シーサイドライナー」(下記以外の列車) 通過 ■快速「シーサイドライナー」(諫早 - 長崎間各駅停車)・■普通 市布駅 - 肥前古賀駅 - 現川駅 脚注 関連項目 日本の鉄道駅一覧 外部リンク 肥前古賀駅(駅情報) - 九州旅客鉄道。 (Wikipedia:肥前古賀駅)

肥前 (戦艦)
『レトヴィザン (戦艦)』より : 肥前(ひぜん)は、かつて大日本帝国海軍に所属した前弩級戦艦である。艦名は現佐賀県、長崎県(対馬市・壱岐市除く)にあった日本の旧国名「肥前国」に由来する。 本艦の前身はロシア帝国海軍のレトヴィザンで、同国海軍の主力艦であった。旅順艦隊の主力として黄海海戦 (日露戦争)などの戦闘に参加したが大破の末に降伏、日本海軍に鹵獲された。鹵獲時の本艦の浸水は酷く、日本海軍は1905年1月1日に捕獲され、5月29日から9月22日まで浮揚作業を実施、9月24日、日本海軍に編入され、旧国名「肥前国」にちなんで「肥前」と命名し一等戦艦に類別した。その後、1905年11月27日に、佐世保工廠に到着し修理に着手。 1908年11月、佐世保工廠における修理が完了した。 艦形 ==。 (Wikipedia:肥前 (戦艦))

肥前久保駅
肥前久保駅(ひぜんくぼえき)は、佐賀県唐津市相知町久保にある、九州旅客鉄道(JR九州)筑肥線の駅である。 1935年(昭和10年)3月1日 - 北九州鉄道の幡随院駅(ばんずいいんえき)として開業。 1937年(昭和12年)10月1日 - 買収により国鉄筑肥線の駅となり、同時に肥前久保駅に改称。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道の駅となる。 駅構造 単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎は無人化後待合室の部分のみを残して解体され、しばらくはその状態で残存したが、JR移行後に残りも解体された。駅舎が解体された後、駅にはトイレと待合所の入った「さくら館」という建物が建てられている。 無人駅。かつては駅前の商店(既に閉店)で切符を販売していた。なお、当駅のホームから唐津線の線路が見える。 利用状況 2011年度の1日平均乗車人員は16人である。 駅周辺 江戸時代の有名な侠客幡随院長兵衛の出身地。当駅も開業時は幡随院を名乗った。住宅は少ない。 幡随院 長兵衛公園 - 徒歩約4分、「幡随院長兵衛誕生地」の碑あり。 (Wikipedia:肥前久保駅)

肥前長野駅
肥前長野駅(ひぜんながのえき)は、佐賀県伊万里市大川町大川野にある、九州旅客鉄道(JR九州)筑肥線の駅である。 1935年(昭和10年)3月1日 - 開業。長野駅との区別から肥前長野になった。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道に承継。 駅構造 単式ホーム1面1線を有する地上駅。相当古い駅舎が荒れた状態で残っている。構内には堀田政太郎の功績をたたえる「堀田政太郎翁功労碑」がたっている。 無人駅で自動券売機もなく乗車券の購入は出来ない。 駅舎は、地元がJR九州から買い取り、保護保存活動がされている。 利用状況 2011年度の1日平均乗車人員は22人である。 駅周辺 住宅は少ない。 淀姫神社 - 松尾芭蕉の句碑あり 大陣岳 伊万里市立東陵中学校 隣の駅 九州旅客鉄道 筑肥線 大川野駅 - 肥前長野駅 - 桃川駅 脚注 関連項目 日本の鉄道駅一覧 外部リンク 肥前長野駅(駅情報) - 九州旅客鉄道。 (Wikipedia:肥前長野駅)

肥前竜王駅
肥前竜王駅(ひぜんりゅうおうえき)は、佐賀県杵島郡白石町大字坂田にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。 駅名は旧竜王村に由来する。 1930年(昭和5年)3月9日 - 鉄道省が開設。竜王駅との区別のため肥前がつけられた。 1972年(昭和47年)2月10日 - 無人化。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。 2015年(平成27年)5月22日 - 当駅1番線に進行方向の異なる2本の列車が同時に在線するトラブルが発生した。死傷者は出なかったが、重大インシデントとして調査官2名が派遣されるなどの事態となった。 駅構造 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。ホームは817系電車に対応し2両分がかさ上げされている。上り線を通過線とする一線スルー配線となっている。隣の肥前白石駅と同様に駅舎が下り線側にあるため、特急列車の待ち合わせがない場合には普通列車を上下とも下り線側に入線させ、乗降客が跨線橋を渡らずに済むようにする柔軟な運用が行われている。 (Wikipedia:肥前竜王駅)

肥前浜駅
肥前浜駅(ひぜんはまえき)は、佐賀県鹿島市浜町にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。 1930年(昭和5年)11月30日 - 鉄道省が開設。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。 2008年(平成20年)4月1日 - 簡易委託終了。 駅構造 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。下り線(2番のりば)を通過線とする一線スルー配線構造となっている。当駅に停車する列車は乗降客ができるだけ跨線橋を渡らずに済むように配慮されており、上り列車はすべて駅舎に直接つながる1番のりば発着、下り列車も大半は1番のりば発着である。当駅で鳥栖方面からの電車の一部が折り返している。817系電車に合わせて2両分のホームがかさ上げされている。 駅舎は木造。鹿島市観光協会の観光案内所が入居しているが、切符の販売等は行われていない。かつてはヤマト運輸肥前鹿島営業所による簡易委託駅であったが、切符類の販売を終了した後、営業所自体も2008年3月に撤退している。 (Wikipedia:肥前浜駅)

肥前鹿島駅
肥前鹿島駅(ひぜんかしまえき)は、佐賀県鹿島市大字高津原にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。 1930年(昭和5年)11月30日 - 鉄道省が開設。 鹿島駅と区別するため肥前鹿島となった。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。 2013年(平成25年)3月1日 - 駅舎内のバリアフリー化。 駅構造 島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。ホームと改札口は線路の下を介してつながっている。従来エレベーター、エスカレーターは設置されていなかったが、2013年3月にエレベーターが設置された。 全列車が停車するため一線スルー式配線にはなっておらず、原則として左側通行である。但し折り返し列車もあるため、肥前竜王方から見て右側にも入線できる。最終の下り普通列車の多良行きは右側に入線した後、同じく最終の下り特急「かもめ49号」を先行させた後に発車する。ステップ付きの783系電車が入線していた名残でホームのかさ上げは行われていなかったが、エレベーター設置と同時にかさ上げされ、バリアフリー対応となった。 (Wikipedia:肥前鹿島駅)


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