1683年、ポーランドとの戦争でポドリア、ロシアとの戦争でウクライナの南西部を併合し、オスマン帝国の最大版図を実現した大宰相カラ・ムスタファ・パシャは、満を持して第2次ウィーン包囲を敢行した。3月にエディルネを進発したオスマン帝国軍は、ムラト・ギライ率いるクリミア・ハン国軍と合流し、7月にウィーンを取り...
地図を広げ、クリミア半島を探すと、目を引かれるのはその特異な位置関係である。確かに、2014年のウクライナ危機に直面したロシアの指導者たちが、国際社会から白眼視されるリスクを冒してでも、この面積2万5000平方キロメートルほどの小さな半島を、自国の勢力圏になんとしてでも確保せねばならないと画策した理由が察...
中公新書の新刊とされている『ケマル・アタチュルク』の表紙を見たとき、ほんの数秒だが、私にはちょっとした混乱があった。「あれ?改版したのかな」と勘違いしたのである。「ケマル・アタチュルク」という表題のインパクトが強く、その上部に記されている著者の小笠原弘幸氏の名前にふとした失念があった。が、すぐに...
Twitter/Xのハッシュタグ「#ガザ投稿翻訳」を始めてしばらく経った。ハッシュタグがないよりは多くの人の目に触れていると思うし、ここ数日で作業をやってくれる方も増えた(こちらからはお声がけはしていないが、自主的にやり始めてくださる方が増えている)。感謝したい。記録に関しては、ほっとくと誰もやってくれな...
トルコ建国の父ムスタファ・ケマル・パシャを逮捕しようとした男 ダマド・フェリト・パシャはオスマン帝国末期の政治家で、第一次世界大戦後に大宰相を務めました。 彼がなぜ売国奴と呼ばれているかというと、大戦に敗北したオスマン帝国の存続のために、イギリスをはじめとした連合国に迎合し、セーブル条約という極め...
「ヤバい」国との出会い トルコとは、かなり「ヤバい」国だ——私はこう思っています。 2014年3月26日、学部を卒業して修士課程進学を控えた私は、短い旅に出ました。行先はトルコのイスタンブル、ここは卒論の題材としたオスマン帝国の都です。そんなイスタンブルに着いた私が一番驚いたのは、トルコ国旗の存在感でした...
トルコが隣国シリアの難民を多数受け入れているのは周知の事実である。2010年3月にシリア内戦が勃発した翌月からシリア人を受け入れ始め、2022年11月現在でも約363万人のシリア人がトルコに滞在している1。彼らは命の危険を感じており、また同じムスリムという共通点もあることから、トルコ人はシリア難民を客人として受...
境 真良@iU/GLOCOM/METI(あーりん推し/芸能人スキャンダル要らない) @sakaima マジでさ、世界史強かったせいもあるけど、海外に行った時に歴史事象について語ると、100%驚かれる。それだけ、大学受験レベルの世界史にはちゃんと書いてある。将来、海外に行った時のネタを仕入れるつもりで、若い人たちは、世界史教科書...
来年のトルコ大統領選を見据え、オスマン帝国の継承とイスラム的価値観の尊重を国民にアピールするエルドアン大統領 トルコ共和国100年の歴史において、オスマン帝国の評価は振り子のように揺れてきた。近年は「偉大な祖先」という肯定的評価が定着し、悪徳と退廃の象徴とされた「ハレム」(日本では「ハーレム」とも表...
ロシア軍の激しい攻撃に晒されているマリウポリには、オスマン帝国とウクライナの歴史的な深いかかわりを象徴する「壮麗王スレイマンとヒュッレム」モスクがある いまロシアの侵攻に晒されるウクライナは、旧ソ連の支配下に入る20世紀より以前にも、オスマン帝国やその属国から襲撃を受けた歴史を持つ。多くの女性がスル...
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