三国志 - 関連ブログ

道長は必ずしも伊周を邪険にしていなかった?[光る君へ予備知識]

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、身内びいきを尽くした藤原道隆が病死し、次に弟の道兼が関白に任命されます。しかし、道兼も疫病に倒れ、藤原氏長者の地位を巡り、道隆の嫡男の伊周と弟の道長で凄まじい権力闘争が起こります。しかし、道長にはある弱点があり、そのため、必ずしも伊周を邪険にできない理由もありました...

諸葛亮像の秘密!明代の英雄が[モデル]だった

三国志演義』でその類まれな才覚を発揮して蜀を勝利に導く天才軍師・諸葛亮(しょかつりょう)。その多才さに憧れを抱く人も少なくないでしょう。しかし、『三国志演義』の諸葛亮は正史『三国志』と比べると盛りに盛られていることに気づきます 勿論正史でも天才ぶりを発揮していますが、『三国志演義』の諸葛亮の奇才ぶ...

元プロゲーマーたぬかな[暴言契約解除問題]に感じる不思議さ

2022年にMildomのライブ配信で、170センチ以下の男は人権なしと発言して炎上し、所属チームから解雇された元プロゲーマーたぬかなが、1年間の活動自粛後、また暴言を吐いてスポンサー契約を解除されました。反省の態度がないことにSNSでは批判の声が出ています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志...

三国時代の空に仙人現る!?三国時代の空に隠された[秘密]

三国志演義(さんごくしえんぎ)』には度々不思議な力を持つ者が現れます。空を飛んだり獣に化けたり、死んだかと思えば生きていたりとつかみどころのない存在である彼らは仙人や仙人の卵である方士・道士と呼ばれる人々。そんな不思議な力を持つ彼らですが、実際に三国時代には仙人が存在していたのでしょうか?その真...

張松の策略が失敗して劉備の蜀入りが数年でも遅れていたら三国志はどうなった?

劉璋の配下の一人、張松のことを覚えていますでしょうか? 『三国志演義』では、醜い小男であると描写されており、その容姿ゆえに曹操(そうそう)のところに使者として向かった折には軽んじられ、そのことにキレて劉備(りゅうび)のところに趣き、以降は劉備と意気投合、蜀の地図を描いて献上する等、劉備の入蜀のきっかけ...

清原元輔の生涯とは?日本史に刻まれた驚異の功績に迫る

NHK大河ドラマ「光る君へ」で清少納言の父として登場したのが清原元輔です。 ドラマでは出番が少ないこともあり、謹厳実直で面白味がない、いかにも学者然とした姿で描かれていましたが、史実の元輔は冗談が好きで、絶えず人を笑わせるような事を考えていたと評されるなど剽軽な一面を持つ人でした。一方で和歌の達人で...

力士にはつけてはいけない[四股名]がある?

大相撲といえば力士の四股名が特徴的ですよね?古来、四股名は醜名と呼ばれましたが、これは醜いではなく逞しいという意味でした。力士には昔からの○○山や○○海だけではなく、明らかに力士の本名から来たものもありますが、つけてはいけない四股名はあるのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての...

勝海舟が日本海軍を創設?近代日本の[奇跡]

明治維新以降、大日本帝国の近代化の象徴であり、強国の象徴となっていったものは強力な海軍力でした。海洋国家である日本は、海軍力の拡充に行い、明治時代に清を破り、ヨーロッパ列強であるロシアの艦隊にも勝利する海軍を作り上げました。 近代日本の象徴でもある日本海軍の基礎を作ったのが勝海舟(かつかいしゅう)で...

袁紹の野望、董卓の混乱が生んだ[群雄の台頭]

三国志で名門といえば袁紹(えんしょう)の名前が必ず挙がるでしょう。彼の名前が現在の人に名門として有名になったのはゲームや小説のおかげでしょう。 そして三国志で一番暴虐な人物といえば董卓(とうたく)の名前が一番最初に挙がるはずです。三国志の中である種の有名人の二人ですが、董卓がいなければ袁紹が群雄として...

[謎多き遺言]諸葛亮、後継者三人目を隠した真意とは?

正史三国志の注にひかれている『益部耆旧雑記(えきぶききゅうざっき)』によれば、蜀(しょく)の丞相・諸葛亮(しょかつりょう)が対魏遠征中に病気になり症状が重くなった時首都の成都から李福(りふく)が勅使として派遣されました。 そのとき、李福は諸葛亮亡き後に政治を担うべき人物は誰であるかを諸葛亮にたずねます。諸...


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