天保6年土佐の富裕な郷士坂本家に生まれる 坂本龍馬は1836年の11月15日、土佐の郷士(ごうし)坂本八平(さかもとはちへい)の次男として生まれます。長男は権平、姉は千鶴(ちづる)、栄(えい)、乙女(おとめ)がいて龍馬は末っ子でした。元々、坂本家は商家で質屋、造り酒屋、呉服商を営み郷士株を買って侍身分になりました。...
西郷隆盛(さいごうたかもり)と言えば、歴史ファンの中でもっとも人気のある人物のうちの1人です。 今回は、西郷隆盛を人柄と学者としての視点から取り上げます。最初に西郷の座右の銘である「敬天愛人」を基に人柄について取り上げます。次に、西郷が薩摩藩士だった頃に勉強した学問を紹介します。学問として、陽明学・...
今回は西郷隆盛(さいごうたかもり)と徳川慶喜(とくがわよしのぶ)との関係に注目します。西郷は島津斉彬(しまづなりあきら)のもとで14代将軍に徳川慶喜を推すように工作していました。14代将軍後継者問題が起こっていた頃に西郷と徳川慶喜は会っていたと考えられます。この記事では、最初に禁門の変の頃の関係から取り上...
島津斉彬(しまづなりあきら)は藩主として西洋の技術を取り入れていましたが、病気で急死しました。斉彬は遺言において島津久光(しまづひさみつ)の忠義を次の藩主とし、久光は藩主ではなく、国父として後見役になりましたが、薩摩藩の実権を握ります。この記事では、国父になったときの久光と明治維新以降の久光について...
ランキング雑誌を信じてはいけない。 集合していると称しつつ少人数の博識に頼っているwikiの知性を信じてはいけない。不完全なアグリゲーションを信じてはいけない。metacritic を、Amazonレビューを、あなたの神を信じてはいけない。 自分自身に祈りなさい。 わたしはあなたに真理をシェアするでしょう。ハチワレが、...
キリスト教はフランシスコ・ザビエルによって布教された キリスト教(カトリック)は、1549年にフランシス・コザビエルが来日してより徐々に普及していきました。戦国大名は、キリスト教の教義以上に、珍しい西洋の文物や新兵器鉄砲の威力に大きな魅力を感じ、九州の大友宗麟(おおともそうりん)や織田信長(おだのぶなが)...
人斬り半次郎 幕末編(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ] 価格: 869 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 薩摩藩内でも「唐芋侍」と蔑まれる貧乏郷士の家に生れた中村半次郎。その逆境の中で、ろくに読み書きもできないが、大らかで真っ直ぐな性格で知られていた。示現流の使い手でその剣に敵はなく、美男子で惚れた女...
※本ページには、プロモーションが含まれています※ ☆ランキング参加中☆ にほんブログ村 #ライフスタイル 僕のとある知り合いには、コロナ禍のめぐり合わせで、タイミングよく国体選手となった自慢の息子さんがいる。彼が、かごしま国体開会式に出た時に、ふるまわれた弁当がこれらしい。知り合いも、「これを食べてみたかったぁ...
島津久光(しまづひさみつ)は、島津斉彬(しまづなりあきら)の死後薩摩藩の国父として実権を握ります。藩主になれなかった久光は国父として有名になったきっかけとなる事件がありました。この事件とは寺田屋事件です。寺田屋事件で朝廷からの信頼を得て幕政に関与するようになります。 この記事では、寺田屋事件で幕政改革...
鹿児島湾岸の国道10号沿いに茅葺屋根の民家がある。江戸時代末期のものが復元されている。ここは「西郷隆盛蘇生の家」と呼ばれている。 国道から線路を挟んで茅葺屋根が見える 安政5年(1858年)、冬の鹿児島湾に西郷吉之助(当時の諱は西郷隆永、のちに西郷隆盛)と月照(げっしょう)は身を投げた。海から救い出され、...
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