高杉晋作 - 関連ブログ

松田屋ホテル(湯田温泉〜山口県)① - すまりんの てくてく ふたり旅

すまきとすまりんの本日のお宿... 幕末の歴史好きにはたまらない 超老舗のお宿です! お宿の裏手に専用の駐車場がありました いきなり龍馬の登場です✨ お宿の脇を 正面玄関に向かって歩いて行きます🐾🐾 こちらが正面入り口 松田屋ホテル(山口県山口市湯田温泉) チェックイン15:00 チェックアウト10:00 門の内側にも...

上海と明治維新  白柳秀湖『日本外交の血路』を読む6

引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)を読み進んでいく。前回は、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会の中で、白柳が「上海と明治維新」という演題で講演した内容の前半で、英仏米の三国が上海に共同租界を建設して支那経略の足掛かりとしたことを書いたが、今回はその後半を紹介させていただく。...

国を治した”上医” 大村益次郎(後篇) - すまりんの てくてく ふたり旅

すまりんたちにとって ちょっと気になる存在の大村益次郎... 彼の一生を追いかけながら... 幕末の歴史の一部分を振り返ってみたいと思い 書き始めたお話... 本日 後編です こちらの前編からお読みいただければ幸いです⤵ www.aranciarossa.work ※記事中の写真は全て現地に行き自身で撮影したものです ーーーーーーーーー...

坂本龍馬は武田鉄矢に怒られるほどの[人物]だったのか?

天保6年土佐の富裕な郷士坂本家に生まれる 坂本龍馬は1836年の11月15日、土佐の郷士(ごうし)坂本八平(さかもとはちへい)の次男として生まれます。長男は権平、姉は千鶴(ちづる)、栄(えい)、乙女(おとめ)がいて龍馬は末っ子でした。元々、坂本家は商家で質屋、造り酒屋、呉服商を営み郷士株を買って侍身分になりました。...

来島又兵衛、幕末を駆ける壮絶[アラフィフ人生]

生まれながらのガキ大将 来島又兵衛は1817年長門国厚狭郡西高泊村(ながとのくにあつさぐんにしたかとまりむら)無給通組の下士喜多村政倫(きたむらまさみち)の次男として生まれました。無給通組というのは長州の下級武士では上級、しかし田畑は支給されず家禄だけなので、無給通組と呼ばれていました。1817年というのは西...

我が家の食卓ものがたり おかずサラダ ソーセージ入りのポテトサラダの小鉢 - ''かんとうしょうえ''の痛風日記

時短手抜きをしながらも、美味しいモノが食べたいです。 相反する事ながら、そんなこともあります。 人間と言うモノは、業の強い生き物です。 関西では、腹立つことを「業が湧く」と言います。 まさに、人間の持って生まれた業が、自然発生すると言う事でしょう。 人間が、本質的に、性善説かそうでないかを論じる議論の...

長州藩はどうして率先して攘夷を実行したり幕府に[喧嘩]を売ってしまったのか?

源頼朝のブレーン大江広元を祖にする長州藩 長州藩の祖である毛利元就(もうりもとなり)の先祖は、鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)のブレーンで朝廷に仕えていた大江広元(おおえのひろもと)の4男、大江季光(おおえすえみつ)だそうです。 しかし、鎌倉幕府の成立に尽力した大江氏も、季光の時代に執権(し...

桂小五郎:イケメン志士の未知なる一面、剣豪から[政治家]への道

病弱だけど悪ガキだった木戸孝允 木戸孝允は1833年、天保4年6月26日、長門国萩城下(はぎじょうか)の呉服町に生まれます。父は藩医の和田昌景(わだまさかげ)、なんと木戸孝允は武士の出自ではなかったのです。木戸孝允は医者の長男、和田小五郎(わだこごろう)として成長していきますが非常に病弱でした。父は「この子は成...

松陰神社 - ゆったり行進曲

先日、世田谷ボロ市に行ってきたのですが、雰囲気を味わっただけで、何も買いたいものが見つかりませんでした。 このまま帰るのももったいなと思い、急遽、近くにある松陰神社に行ってきました。 鳥居をくぐってちょっと行くと吉田松陰の像がありました。 本殿はこんな感じ。 本殿の隣には松下村塾を模した家屋がありま...

アメリカ生活:日本一時帰国(15) - 映画みて旅して写真撮ってみて!

December 23, 2023 下関:高杉晋作 高杉晋作が白石正一郎の援助を受け、騎兵隊を結成したとされる白石正一郎邸跡。 今は中電の敷地内にあるということだが、とにかく駐車しにくい。 下関駅の近所ということで、車も多いし、大通りに面しているので、簡単に止まれず、街も一通か細すぎて入って良いのかわからない道が多く...


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