薩摩藩 - 関連ブログ

国を治した”上医” 大村益次郎 (前篇) - すまりんの てくてく ふたり旅

幕末に 推しの偉人はおられますでしょうか? 坂本龍馬・西郷隆盛・土方歳三… あたりがランキングトップの常連になるかと思います 「竜馬がゆく」・「翔ぶが如く」・「燃えよ剣」… かれらの業績やひととなりを 司馬遼太郎の小説で知られるかたは きっと多いでしょう そんな司馬文学の中で さほど目立たない存在ながら す...

坂本龍馬は武田鉄矢に怒られるほどの[人物]だったのか?

天保6年土佐の富裕な郷士坂本家に生まれる 坂本龍馬は1836年の11月15日、土佐の郷士(ごうし)坂本八平(さかもとはちへい)の次男として生まれます。長男は権平、姉は千鶴(ちづる)、栄(えい)、乙女(おとめ)がいて龍馬は末っ子でした。元々、坂本家は商家で質屋、造り酒屋、呉服商を営み郷士株を買って侍身分になりました。...

川内の泰平寺、豊臣秀吉と島津義久が顔をあわせたところ - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

医王山正智院泰平寺(たいへいじ)は鹿児島県薩摩川内市大小路町にある。かつての薩摩国の高城郡(たきのこおり)の水引郷(みずひきごう)のうち。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉は島津氏を攻める。大軍勢を率いて薩摩国に入り、陣を置いた場所は泰平寺であった。豊臣軍は圧倒的な兵力で島津方を敗走させる。島津義久(...

来島又兵衛、幕末を駆ける壮絶[アラフィフ人生]

生まれながらのガキ大将 来島又兵衛は1817年長門国厚狭郡西高泊村(ながとのくにあつさぐんにしたかとまりむら)無給通組の下士喜多村政倫(きたむらまさみち)の次男として生まれました。無給通組というのは長州の下級武士では上級、しかし田畑は支給されず家禄だけなので、無給通組と呼ばれていました。1817年というのは西...

「高輪築堤」一部を現地で保存へ 羽田新線予定地、JR東

JR高輪ゲートウェイ駅の近くで見つかった「高輪築堤」の一部=2020年11月、東京都港区(JR東日本提供) 羽田空港と東京都心を直結する新路線「羽田空港アクセス線」の工事予定地で出土した鉄道遺構「高輪築堤」を巡り、JR東日本は15日、工事計画を変更し、田町駅付近で確認されている約160メートルのう...

羽田空港アクセス線の予定地で発見「高輪築堤跡」一部保存へ | NHK

羽田空港と東京駅などを結ぶ羽田空港アクセス線の工事予定地で、おととしに見つかった石垣が国内初の鉄道の線路を敷くために築かれた「高輪築堤跡」と確認されたとして、JR東日本は一部を保存したうえで工事を進めることを決めました。 2031年度の開業に向けて工事が進められている羽田空港アクセス線のうち、東京 港区...

「能登は負けない」しいのきプラザ、のとキリシマツツジ展 - 金沢おもしろ発掘

金沢 晴れ、今日は一日中晴れ予報です(笑) 3月20日の祝日に「のとキリシマツツジ展」観てきました。 のとキリシマツツジは、ツツジ科ツツジ属の常緑低木です。江戸時代に薩摩藩から能登半島に持ち込まれたとされ、現在は能登半島固有の品種として知られています。 10no3.hatenablog.com のとキリシマツツジは、能登半...

【八幡神社 (八井神社) 】神武天皇の皇子、神八井耳命の墳墓伝承地 - 旅ながらの日々

神武天皇の皇子、神八井耳命 (かむやいみみのみこと) は第二代・綏靖天皇の兄御子で、多氏の祖とされている。 日本書紀は畝傍山の北に葬られたと記す。 かつて八井神社と称されていたとされる八幡神社 (橿原市山本町) の本殿がたつ、盛り土状の小丘が、その神八井耳命の墳墓であるとも見做されている。 ~目次~ 八幡神...

鞆の浦 ぐるり観光 - すまりんの てくてく ふたり旅

すまきとすまりんがこのたび訪れた鞆の浦(とものうら)は 広島県福山市の港町です 鞆の浦は 瀬戸内海のほぼ真ん中にあり この辺りで東西の潮の流れが変わることから 瀬戸内海を横断する船はここで一旦 潮の流れが変わるのを待ちました ということで 鞆の浦は「潮待ち港」として知られ 江戸時代を偲ばせる建物がたくさん...

種月寺へ - NIIGATAさんぽびと

岩室温泉のすぐ近く、杉並木の奥にひっそりと建つ種月寺。 いつ来ても静かな時間が流れている。 新潟市西蒲区石瀬の種月寺は、1446年に創建されたお寺。 かつては越後における曹洞宗の四大道場(耕雲寺・雲洞庵・慈光寺・種月寺)の一つに数えられた名刹。 比較的近いこともあって何度か訪れているが、神聖な空気にいつ...


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