歴史評論 - 関連ブログ

なぜ日本の城下町はこんなにも殺風景なのか…城を「過去の遺物」としか見なかった明治政府の恐るべき無教養 明治政府=文化的素養に欠ける下級武士の集まり

なぜ現存する天守は12しかないのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大きな要因は明治政府が出した廃城令にある。彼らに文化や歴史的景観を守るという発想はまったくなかった」という――。 なぜ日本の城は無配慮に破壊されたのか 仕事柄、ヨーロッパに行くことが多いが、帰国後に日本の城を訪れると、いつも残念な気持ちに...

間違った日本人像を世界中で拡散している…大ヒット配信ドラマ「SHOGUN 将軍」を歴史評論家が問題視するワケ 武士が庶民を気まぐれで殺す、捕虜を汚物で辱める…

ディズニー配信ドラマで歴代1位となった「SHOGUN 将軍」 関ヶ原合戦にいたる時期の、徳川家康による覇権争いを描いた「SHOGUN 将軍」。ディズニー傘下のFXプロダクションが制作した全10話のドラマで、すでに世界的な大ヒットを記録し、現在、日本でもディズニープラスで独占配信されている。 撮影はバンクーバーなどで行...

藤原道長でも父の兼家でも安倍晴明でもない…NHK大河で描かれる「平安最大のクーデター」黒幕の名前 クーデターの直後に前代未聞の大出世を遂げる

なぜ藤原道長は平安時代の最高権力者になったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「『寛和の変』が大きなきっかけだ。花山天皇の退位により、道長の父の兼家は政治の実権を握り、姉の詮子は天皇の母となり絶大な権力を得た」という――。 兼家「なぜ私が狸寝入りをしていたか」 藤原兼家の大がかりな陰謀劇が次第に見えてき...

ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史 | 長周新聞

京都大学で13日におこなわれた公開セミナー「人文学の死――ガザのジェノサイドと近代500年のヨーロッパの植民地主義」【既報】より、藤原辰史・京都大学人文科学研究所准教授の基調講演「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景」の要旨を紹介する。 □      □ 今日の問題提起は、ドイ...

「鉄筋コンクリート造」でも名城はある…城マニアが教える「訪れる価値のある城」と「ダメな城」の見分け方 「現存12天守」以外にも訪れるべき天守はある

天守が現存する城は全国に12しかない。それ以外の城の「歴史的価値」は無いのだろうか。歴史評論家で城マニアの香原斗志さんは「鉄筋コンクリート造の城にも名城はある。例えば名古屋城や広島城の天守はおおむね旧観を再現している」という――。 ホンモノの天守を持つ城は12しかない 数年来の城ブームは、新型コロナウイ...

豊臣家の痕跡をこの世から抹消する…秀吉の築いた大坂城を完全に破壊した徳川秀忠のすさまじい執念 現在の大阪城天守閣は徳川がつくった石垣の上に建っている

江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「決して凡庸ではないが、父・家康のようなカリスマ性や軍事の才能はなかった。それゆえに、豊臣家再興への恐怖心は強く、秀吉ゆかりの大坂城を徹底的に破壊した」という――。 なぜ大坂城は難攻不落の城と呼ばれたのか 12月17日に放送さ...

本能寺の変の首謀者の娘から徳川幕府の権力者へ…徳川家光の乳母・春日局のすごすぎる成り上がり人生 家康への命がけの直訴が人生を大きく変えた

3代将軍徳川家光の乳母、春日局はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「明智光秀の重臣だった父親譲りの才覚を発揮し、孤児のような立場から将軍に次ぐほどの権力者までに大出世した」という――。 「どうする家康」の語り部、春日局の意外な出自 毎回、「われらが神の君は」ではじまるNHK大河ドラマ「どう...

豊臣秀吉の「人の殺し方」は狂気としか呼べない…秀吉が甥・秀次の妻子ら三十数名に行った5時間の仕打ち 結果として関ヶ原につながる家臣の分裂を招いた

豊臣秀吉の甥の秀次はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「能力はともかく跡継ぎとして秀吉に重用されていた。だが、秀頼の誕生により、切腹に追い込まれた上、一族は根絶やしにされた」という――。 人の殺し方にあらわれる秀吉の狂気 百姓のせがれから関白太政大臣に――。古今東西を見渡しても、豊臣秀吉...

晩年の豊臣秀吉のイヤな性格がよくわかる…朝鮮出兵の前線基地「肥前名護屋城」に作らせた意外な施設 ほかの大名も秀吉に付き合うしかなかった

豊臣秀吉が朝鮮出兵のために建てた肥前名護屋城とはどんな城だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大坂城に次ぐ大きさで、中心には5重7階の天守が建っていた。わずか6カ月でできたとは思えない大城郭だった」という――。 なぜ秀吉は朝鮮出兵を行ったのか 豊臣秀吉は朝鮮半島に侵攻し、ひいては明を征服するという計画...

豊臣秀吉でも上杉景勝でも石田三成でもない…家康が生涯で最も苦しめられた戦国最強の「くせもの武将」 家康に敵対し続けたのに、明治維新まで家を残した

戦国時代に活躍した真田昌幸とはどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「自国の領土と家を守るためなら、主君に歯向かうことも、主君を変えることも厭わないくせものだった。家康は昌幸に翻弄され続け、生涯苦しめられた」という――。 家康を悩ませ続けた戦国最強の「くせもの武将」 ラストに近い場面で並々...


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